江戸野菜、葱茂の千寿ねぎは、約200年前からありますが明治時代に東京の鍋屋が、「飛び切り甘くて荷崩れをおこさず、それでいて口の中に入れるととろける葱がある!」と評判をとり
葱麦屋からは「薬味にすれば一本でほかの葱の倍以上取れる!」といって瞬く間に東京中の鍋屋、葱麦屋、焼き鳥屋、すき焼屋など、葱を多く使う料理職人の間に広まり、現在でも東京のこれらのお店約八割は千寿ブランドの葱が使われてるそうです!!
なぜこれほどの葱が全国的に無名かというと、理由は二つあります。
一つは、厳選している葱なので職人さんにしか回らないことと、
二つ目は、葱商たちの閉鎖的の体質によります。
約二百年余、売り子は世襲制でそれを扱う葱商~葱の鑑定人~たちも血縁者か十年以上葱商の下でよい葱を見極める経験を積んだ者でないと、千寿葱を扱う事は出来ないという規則を貫いているからだそうです。